真田丸 流行りすぎ 石田三成切腹 逸話の考察
関ヶ原に破れて捕らわれた石田三成は京都の三条大橋の河原で首を刎ねられた。
そうです。
切腹、介錯の時間はあらかじめ決められていてその時刻までは縛られ正座、膝の上には重石。三成の時はどうだったか定かではないけど膝か足の甲に杭が打たれ立てないようにもされているはず。
そんな中 、三成は見張りに対し
喉が渇いた白湯などはないか?
と尋ねたそう。対し見張りは
そんなものはない。干した柿ならあるがそれで渇きをいやしたらどうだ?
三成はさらに返答し
腹をこわす。要らん。
見張りは少し驚き、同時に可笑しくなって
これから死ぬのにそれはないだろう。
と言った。この有名なやりとりはここまでは共通してて。その先は扱った学者、文学者にとって様々だ。
僕はこう解釈している。
当時は現世に思いを残す事が大きいとまたそれが無念であればあるほどに成仏出来ずに世に怨念として残るといわれていました。
三成は怨念として家康に抗うつもりだったのでしょう。死ぬ寸前まで出来るだけ完全な身体でいたいと思ったのでしょう。死んだ時の状態が依存して霊になると考えてたから。
家康の前に怨念として出た時にハラいてぇ〜じゃね。かっこつかないよね?てか面白いよ逆に。
昨日、大河を見て時期が時期だけにふと思い出しました。